ステータスとしての車の存在

一昔前、車を所有し運転する事はこの上ないステータスでありました。車をこよなく愛す人々は、眺めて楽しみ、乗って楽しみ、洗車して楽しみ、自動車というものをあらゆる角度から味わいながら満喫しておりました。現代の若者文化の中には、車に憧れを抱く気持ちが薄れているというような風潮を小耳に挟むと、どうしても寂しい気分になってしまうものです。以前の若者と言えば中古車雑誌や車関連の雑誌を読みふけり、知ったかぶりで高級車やスポーツカーの事を語り合うものだと思っていましたが、最近ではそのような光景はなかなかみられず、親の車を年に数回運転すれば御の字というのですから驚きでもあります。時代が、車の存在を必要としなくなったという人もありますが、車はお金がかかるからこそ、ステータスとしての存在意義があったはずなのです。自動車免許取りたての頃はスポーツカーに憧れ、外国車に憧れながらも、数年間貯め込んだバイト代で購入できる範囲内の中古ファミリーカーを手に入れ、休みの日には手洗いで洗車し、ワックスをかけ磨き上げ、うっとりと眺めては、出来もしない車の改造を夢見たものでした。

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